本題に入る前に、件の発言がどういう文脈で述べられたかご存知でない人もいるようなので(半数の人は知らないんじゃないだろうか)、発言内容について触れられているページへのリンクをば。
ttp://www.nakagawahidenao.jp/pc/modules/wordpress0/index.php?p=436
(ページの中段辺り)
と言うわけで本題ですが、今回の問題であるのは、「(女性は)産む機械」と言う発言が如何なる文脈の中で使用されたか、と言うことです。
さて、上記のリンクを見て頂ければ分かることかとは思いますが、それは飽くまで、学問的、理論的に説明する為に用いられた比喩表現でしか在りません。ならば、果たしてそれは糾弾されて然るべきものなのでしょうか?
今日、テレビの報道番組などで柳沢大臣の発言は糾弾され、辞職を煽るような意見が飛び交っていますが、これは私からして見れば、愚かしいこと極まりない。現在、柳沢大臣について成されている批判とは、曰く女性の人権侵害だとか、曰く女性蔑視だとかいうものですが、上記の文脈からそれを判断すると言うのは、余りにも穿った見方でしょう。
詰まる所、現在成されている批判は、発言の趣旨、文脈などは一切考慮することなく行なわれており、ファシズム下での言論統制的なそれと極めて似通っています。また、その言葉が使われるに至った文脈など何の関係もなく、ただ使用しただけで糾弾されると言うならば、究極的には、報道番組などで解説の為に、「(女性は)産む機械」と言う言葉を使用することすらも糾弾されると言う理屈に成ってしまいます。
また、一方では、「斯様な発言が在ると言うことは、本人はそう思っているに違いない」、だとか、「思っていることはポロリと出ちゃうものですよね」、などと言う暴論も飛び交っています。
しかも、この暴論が一部では人口に膾炙(かいしゃ)しているのですから、嘆かわしいことです。
其処に在るのは最早、糾弾したいが為、断罪したいが為の理屈でしか在りません。こう言っているのだからその筈だと言う、極めて主観的、且つ根拠のない悪質な決め付けです。先に述べたように発言の文脈を考慮せずに、この様に断ぜられることが罷り通るならば、私などは、とうの昔に社会的に抹殺されていなければ成りません。とどのつまり、彼らは柳沢大臣を、女性差別主義者としてデモナイゼーションしているだけでしょう。小林よしのり氏の言葉を借りるなら、根拠もなく相手を悪人にして断罪したい人間は、日本ではなく魔女狩り村に住めば宜しい。
私は当初、この問題が此処まで大きくなるとは思ってもいませんでした。実際、私の周囲の女性は殆ど何とも思っていませんでしたし、「うっかり言っちゃったんじゃないかな」、と柳沢発言を擁護する意見も在りました。
しかしながら、マスコミの報道は悪辣そのもので在り、殆ど文脈を論じることなく柳沢大臣を断罪するものでした。彼を擁護していたのは、テレビ番組ではせいぜい橋本弁護士くらいのものでしょう。
そして、マスコミの努力(?)も在ってか、この問題は社会問題となり、アナログは言うに及ばず、ネット圏でも、個人のブログなどで言及されるようになりました。しかしながら、問題の本質に踏み込んだ意見などは皆無に等しいのが現状で、大方は私的なルサンチマンを吐露するものでしか在りませんでした。
そして、私がオンラインで知っている方の何人かも、同様の陥穽に陥っているのを見て、此処で(本来せらふぃぶりーどでは、おこがましいのに加えて、何の日記か判らなくなるので、政治などについては基本的に触れない積もりでした)その問題に言及する決心をしたのです。
とにもかくにも、ネットと言う媒体を持ちながらも、マスコミの偏向報道や野党とフェミの気違った理論に踊らされるのは愚の骨頂です。如何にメディアが発達しようとも、あらゆる事象に対して懐疑的な視点を持つと言うのは極めて大事なことだと、改めて悟らされました。
それでは、拙文失礼しました。